佐世保事件2

 続報があった。

http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/140731/crm14073117410019-n1.htm
 県関係者によると、女子生徒を診察した精神科医が6月10日、相談窓口がある佐世保こども・女性・障害者支援センターに連絡。精神状態の不安定さを懸念し「小学生の時に薬物混入事件を起こした。中学生になって父を殴打した。このまま行けば人を殺しかねない」と相談。小動物を解剖した例も挙げ対策を求めた。ただ、守秘義務に触れる恐れがあるため女子生徒の氏名は伏せた。

 やはり、気づいた大人はいたんだ。けど、何も変えられなかった。精神科医の人も自分でできることはしたのだろう。それ以上のことは、職業上できなかった。当たり前のことだが、医者が守秘義務を守らなかったら、安心して病院にいけない。
 もちろん制度上の不備はあるだろう。不備のない制度はない。ということは、この気づきを生かすためには、誰かがルールを破らないといけないということだ。今回の事件のように、大概の人が予想していないことを、制度で防げるようになっているなんてあり得ないからだ。そうすると、ルールの破り方が問題になる。
 なんだか完全に話がどっちらけになってきたが、実際に動くとなると、こういう話になると思う。とりあえず

  1. 教員が加害生徒を精神科医に通うよう促す
  2. 定期的に通うよう言われたとなる
  3. 担任も定期的に家庭訪問する

 という動きでは、今回の事件は防げない。

  1. 教員が加害生徒を精神科医に通うよう促す
  2. 定期的に通うよう言われたとなる
  3. 保護者に医者に会っていいか許可を得る(医者にアドバイスを頂きたい的に)
  4. 精神科医にひっそりと会いに行き、加害生徒の異常さを伝える

 最低限、この辺りまでやらないと。ただ4つ目は管理職的にアウトだと思う。3つ目は保護者的にアウト。ここはなんとか許可を得る必要がある。教員の説得力の見せ所。これをやると、いくつかのルールを逸脱している。精神科医から有力な情報を得るためには、精神科医にもルールを逸脱してもらわないといけない。その上で、「どうやって、この子を治療に乗せるか」という話に、やっとなる。これはすごく厳しい。教員もここまで背負いたくないし、リスクも負いたくない。下手しなくても処分される。
 制度を厳格に守ると、上記の行動はとれない。いくら大人が気づいたとしても、そこには何重ものルールがあり、身動きがとれない。制度を破った場合、その責任は破った人が全てを負う。昔のようなあやふやさはない。今後、あやふやになることはない。となると、この制度を厳格に守らなければいけない中で、どうやって気づきを行動に移せるか、そこがポイントなのだろう。
<追記>
 尾木ママがこんなことを言っていた。
100%防げた佐世保同級生殺人事件!!心ないお役所仕事が奪った被害少女の命!! | 尾木直樹(尾木ママ)オフィシャルブログ「オギ♡ブロ」Powered by Ameba

女を診察した精神科医がわざわざ『人を殺しかねない』と6月10日に最大級の警告緊急連絡相談しているにも関わらず
・匿名でわからないから
などと放置したとは!!!!
たった一人のこの県センター職員の怠慢が
・一人の少女の命を奪い
・一人の少女の未来を閉ざした
かと思うとやり場のない怒りに胸潰れそうです!!
なぜ、小学生時代の給食事件、最近の父親金属バット殴打事件まで話しているのに、つまり、名前こそ守秘義務で話していないけど、個人を特定しているのと同じなのに放置したのか!

 う〜ん、怒りを感じるのはもっともなのだが…。まず、たぶん県職員は1人ではなく、何人もの人で話し合った結論だと考えます。「個人を特定しているのと同じ」っていっているけど、たぶん県職員は個人を特定できなかったのかもしれないし。まぁ、なぜか県職員の肩を持ってしまうが。結局、現代社会はみんなアイヒマン的になっているのかもしれない(私も含めて)。与えられた職場で与えられた仕事をすることに慣れきってしまい、それを越えることを良しとしない。だから自分の仕事の善悪を判断できないのかも。
 しかし、これを「アイヒマンは悪魔だ!」とののしっても、何も解決しない。また次のアイヒマンが生まれるだけだ。尾木ママは、一体どんな反応を期待してブログを書いたのだろう。コメント欄を見たが、尾木ママに同調する論調ばかりで建設的とは言えないと思った。

個人大切に、個々の生徒にしっかり向き合わない教育運動は、この成熟して日本には馴染まないのではないでしょうか!?命の教育やるより、個々の児童・生徒の心ともっともっと先生方がふれ合える精神的時間的ゆとり作る方が大切なように思います。

 こっちのほうが大事でしょ?県職員を批判するのではなくて、命の教育をどうやるかを考えるのではなくて。上半分の語気が強めだから、この部分なんか転載先には載ってすらいないよ。
 もう一つ加えるなら、個々の児童・生徒だけじゃなく、保護者・地域の人とふれあえる、”精神的時間的ゆとり”。やっぱし、保護者と触れあうのって精神的に結構きついんすよ、慣れないと。慣れる環境を作るまでが大変。