「民族」紛争

ふとTTが「冷戦期のほうがよかったのでは」と言っていたのを思い出した。つまり冷戦期のほうが民族紛争が少なかったということなんだろう。民族紛争という言葉はとてもいろいろな意味を含んでおり、単純に定義することは難しい。それを聞いたとき、果たして冷戦期よりはよくなっているのかという、ふとした疑問がよぎった。
確かに冷戦期の国際紛争で民族紛争といわれていたものは今より少ない。例をあげてみても、朝鮮戦争インドシナ戦争を民族紛争とは呼ばないだろう。インドシナ戦争は、旧宗主国からの独立といった意味合いが強く、民族同士のせめぎ合いとまではいかない。ただ朝鮮戦争については、確かに冷戦期に見られた典型的な代理戦争であったが、相対するイデオロギーを主張した民族内の戦争という見解もあっていいのかなと考えている。カンボジア紛争に至っては、侵略戦争だったのか、民族紛争だったのか、冷戦の代理戦争だったのか、判断するのは難しい。たぶんその全ての要素を兼ね備えているのだろう。思いっきりアメリカが介入し、ベトナムが介入(侵略?)し、ポル=ポトの民主カンプノチアは成立して崩壊し、シアヌークは再即位しているのだから。
もちろん民族紛争といわれている戦争も起こっている。しかし当時の戦争(紛争)というのは、大小ほとんどに米ソが介入しているためか、純粋?に民族紛争という形をとっていない。アフリカではビアフラ戦争やコンゴ動乱中東戦争など、民族紛争の色彩を帯びているが、米ソが一枚かんでいる。また東欧でスターリン批判後に起こったハンガリー事件やプラハの春など、こういった反ソ暴動を民主化運動と見るか民族自決の運動と見るか、鎮圧にソ連が介入している辺りを考えても、単純に分類できるものではないと思う。
ソ連が崩壊しだすまでは、ベトナム軍を英雄視したり、中国における国共内戦共産党を支持するなど、人民政府を理想とする社会主義ユートピア的な見方をしている文献が数多くある。しかし社会主義国間の紛争や共産党政府内の腐敗などが多発し、ソ連の崩壊と東側諸国の解体によって、この視点は鳴りを潜めてしまった。そのため、ペレストロイカ以降の紛争は、大概民族紛争と位置づけられている気がする。そのため、TTには「民族紛争が増えた」というふうに見えたのだろう。
民族紛争といわれると、「民族間の対立」というまるで不可避の紛争といったイメージを醸しだし、古来から「宗教や文化など」で対立しているととらえられてしまう。しかし実際にはこういった民族的要素よりも、経済的要素や政治的要素を色濃くしたものが多い。例えばユーゴスラビア紛争においては多民族国家内での政権闘争といった色彩が強い。民族的対立(宗教的対立)といったことよりも、現実的な政権の維持や経済の独占?といったことが背景にあり、民族的対立はその際の民族意識高揚のために使われている。チェチェン紛争アルジェリア紛争戦などは富の争奪(両国ともに石油がとれる)と民族というのが密接に関連している。また特にアフリカにおいては旧宗主国の統治政策として民族対立を煽っていたことや、独立に際して旧宗主国が勝手に引いた国境線を採用するなど、民族対立の土壌は存在していた。しかもその対立自体が煽られたものであって、民族古来からの対立ではないのである。
    
えー、非常に思いつきで書いたので、薄っぺらいと思いますが、民族紛争というものを私はこうとらえております。つまり民族紛争というのは、あくまで表面的にそう見えるのであって民族固有の対立ではないということ。また古来からあったものではなく、ほとんどが作られた対立の構図を成しているいうこと。さらに冷戦終結後増えたのではなくて、表面化してきただけであるということです。表面化してきた要因としては、冷戦終結後に勢力均衡が崩れて多極化が進行し、また資本主義経済の拡大によって貧富の差が拡大していることが上げられます。さらには対立の場面において国際連合によるPKO活動が効果を上げられずに下火?になってきており、内戦への国連の介入が難しくなっているからだと思います。
第二次世界大戦後、各国は軒並み経済成長を遂げ、生活水準を向上させています。が、残念ながらアフリカ全体では経済成長しておらず、逆に貧困化してきています。実際、「民族紛争(他に言葉が見つからないので)が貧困化を引き起こしている」というのは事実でしょう。ただ民族紛争激化の原因は単純に仲が悪いことではないので、民族紛争が増えたといいたくないんですな。
どんなもんでしょ。