源氏と日本国王

源氏と日本国王 (講談社現代新書)

源氏と日本国王 (講談社現代新書)

「なぜ足利義満は『日本国王源』と名乗ったか」という疑問から調べていって行き着いた本。なかなかおもしろく読めた。氏の名である姓と家の名である苗字の違いが「1,姓は天皇が上から与え、苗字は自ら名乗る、」「2,平安以後の姓は父系制的な血縁原理により継承され、苗字は家という社会組織自体の名称」というのはわかりやすい。また中世の「家」を「特定の家業などを伝える社会組織で、たまたま血縁集団だった」としたのも、氏と区別しやすくて理解しやすかった。
当初の疑問である「なぜ『日本国王源』と名乗ったか」というのは、単に「氏」が「源」だったからという結論だった。無知というのは悲しいものだ。
キーワードが3つでてくる。一つめは「源氏長者」。「源氏」とは臣籍降下した皇族が名乗った姓で、「源氏長者」はその一番偉い人。「嵯峨源氏」とか「村上源氏」が長者になることが多かったみたい。んで源頼朝の大本である「清和源氏」はイマイチ末端だったみたい。それは鎌倉時代に入っても同じ。「清和源氏」で「源氏長者」になったのが足利義満だったと。
二つ目は「日本国王」。これは名乗ったというより、賜ったといったほうが良いのか。明の冊封を受ける形で義満が使った。日本国内においてこれがどんな意味をもったかわからないが、ただ日本国王に封ぜられた将軍が、必ず「源氏長者」になっている。
三つ目は「征夷大将軍」。野蛮人を攻撃する軍隊の最高司令官である。この将軍宣下と同時に源氏長者宣下を受けたのは徳川家康。こうして江戸時代を通じて、国家の主権者が征夷大将軍といったイメージが持たれたみたい。
よく考えてみたら、征夷大将軍が主権者としていれたのは、江戸時代くらいなのかなと。中国なんかだと、明の時代に皇帝は絶対的な権力を手に入れたが、それでも無力な皇帝だと宦官や官僚、外戚なんかに操られていた。意外と中央集権化なんていっても、そんなに集権化してなかったんだなぁと思った。絶対王政なんて、全然「絶対」じゃないし。