合理性…

時事ネタではないんだが、銀行マンとしゃべっていた。合理的であることは、とても大切だと思う。ただ合理的というのが常に正しいわけではないし、ある意味不幸でもあるのかなと。
なんでも合理的にやると、無駄がなくなる。しかし動いているのは人間。人間は経済学では、一般に「合理的に動く」と考えるが、実際は合理的になんか動かない。だから無理が生じてくる。サラリーマンがむちゃな労働条件でも働かせられるのが、合理的を追求した結果なのだろうな。そうやって人間は体や精神を破壊されていくのかもしれない。
労働条件を整備して合理的に…とも考えると思うが、無駄というか無駄な時間というのは大切なのだ。同僚とたわいもない会話をしたり、ボーッとしながらアイディアを考えたり、少し早めにかえって家族サービスに努めたり…。合理的に仕事をしたら、この全てを網羅することができなくなると思う。早く帰りたければ、無駄な時間を減らさなきゃいけないし、同僚を会話をするには帰る時間を気にしてはいけない。結局、何かを選ぶためには何かを犠牲にしなきゃいけないわけだ。こういう状況では余裕なんて作れるはずもなく、忙しさに追われる日々になってしまう。
文明の発展を考えると、実は「余裕(余暇)」というのがとても重要になってくる。見方によっては、人類の歴史は「生活に余裕を持てる人を増やす努力」を続けた結果とも言うことができる。古代は王侯貴族など一部の人だけが持っていた生活の余裕を、現在は普通の人々が生活に余裕を持てている。古代の農民などは日々やることがあり、友人と旅行に行ったりなんてできなかった。ただ古代の農民は、時間に追われてはいなかった。合理的でもなく、そこには時の流れに身を任せて仕事をするという暗黙の了解があったのだと思う。今日やらなきゃいけない仕事は、そこまで多くなく、生活は苦しくとも、家族サービスをしたり、隣人ととりとめのない会話をする余裕はあったのだろう。現代人はそういった、「人としての余裕」の代わりに「生活の余裕」を手に入れたのかもしれない。けど「人としての余裕」は失われていったのかなと思った。
「安い」「早い」「便利」といった合理性を重視することは悪いわけではないと思う。ただ無駄なこと、適当であること、流されることも時には必要なのかなと思った。ようはバランスなんだろうけど。人間はそれほど合理的ではないのだから、バランスが大事なんだと思う。