インド古典文明(インダス文明、バラモン文化)

インド初期文明

前2500年頃からメソポタミア文明の影響を受けて青銅器文化を持つ都市文明が起こった。モヘンジョ=ダロハラッパパンジャブー地方)が代表的な遺跡である。インダス文明は人間的・平和的な文明で、農業を基礎産業として彩色土器を製作していた。商工業も発達し、各地と交易を行っていた(ラピスラズリ、印章など)。民族は明らかでないが、ドラヴィダ人がもっとも有力である。しかし前1500年アーリア人がインダス流域に侵入してきた頃に突然滅んでしまった。

バラモン社会の発展

前1500年頃パンジャブー地方に侵入したアーリア人は、ドラヴィダ人を征服して定住し、農耕生活に入った。彼らは、家父長制家族を単位とする氏族共同体の村落を構成し、部族長がラージャとして全体を統率した。当時から牛は神聖視されていた。前1000年ガンジス川流域に進出し、前6世紀にガンジス川流域に多くの都市を形成し、ラージャが小王国を形成した。
アーリア人の移動の間に社会の階級分化と固定化が進み、カースト制度を成立させた。最上位はバラモン(僧侶階級)で、バラモン教ヴェーダを用いて、複雑な祭式を行った。次はクシャトリヤ(武士・貴族)で軍事と政治を司った。ヴァイシャ(庶民階級)は農・工・商に従事し、納税義務を負った。下層はシュードラ(奴隷階級)で、被征服民の大部分であった。さらに最下層民としてパリア(不可触賤民)が存在していた。このカースト制度は時代とともに強化され、インド社会の発達を妨げた。
最上位のバラモンは、バラモン教を通じて社会・文化の支配者であった。彼らによってバラモン文化が成立した。その中心はヴェーダ(最古はリグ=ヴェーダ)で、神を讃える歌や儀礼を述べたものであり、バラモン教の根本聖典となった。

諸王国の統合が進み、クシャトリヤやヴァイシャの実力が高まり出すと、形骸化したバラモン教に対する反省としてウパニシャッド哲学が起こった。これは宇宙の中心生命であるブラフマンと個人の中心生命であるアートマンとの究極的一致を説く思想である(梵我一如)。この哲学は、後に近代ドイツ観念論哲学に大きな影響を与えた。
バラモン教に対抗するものとして新興宗教も起こった。仏教は前6世紀頃にガウタマ=シッダールタが始めた新宗教である。カースト制を否定し、人間は一切平等であると唱え、八正道を行うように説いた。特にクシャトリヤの支持を受け、ガンジス川下流に栄えたマガダ国に保護されて北部インドに広まった。
ほぼ同時代にヴァルダマーナジャイナ教を起こした。この教えもカースト制を否定し、極端な不殺生主義を唱えた。苦行と戒律を重視した点はバラモン教に類似している。ヴァイシャ階級の支持を受け、今日なおも多くの信者が存在している。