歴史

100分de名著『旧約聖書』

『旧約聖書』 2014年5月 (100分 de 名著)作者: 加藤隆出版社/メーカー: NHK出版発売日: 2014/04/25メディア: ムックこの商品を含むブログ (6件) を見る 『旧約聖書』を「古代ユダヤ民族についての文書を集めた小さな図書館」と呼んだ著者は、どのような見方…

教皇権の衰微

教皇のバビロン捕囚 14世紀初め専ら財政上の理由から国内の聖職者への課税を図るフィリップ4世は、反対するボニファティウス8世に対抗するため、1302年三部会を召集した。1303年に教皇はローマ均近郊のアナーニで捕らえられて幽閉された。 フィリップ4世は教…

スラヴ族とアジア系諸国家

東スラヴ 東スラヴ族が建国したキエフ公国は貿易によって利益を得ていた。10世紀末ウラディミル1世のとき、ビザンツ皇帝の妹と結婚し、ギリシア正教に改宗して国教とし、ビザンツ風の専制政治を導入した。このころから東方の遊牧民(ペチェネグ人)の侵入を…

帝国の分立(ドイツ・イタリア)

神聖ローマ帝国 神聖ローマ皇帝はキリスト教の擁護者として、しばしばイタリアに関心を向けて支配下に置くことを図るイタリア政策を行った。これは教皇との対立を深めるとともに、ドイツ諸侯の自立を助長していった。フリードリヒ2世(赤髯王)はたびたびイ…

百年戦争

百年戦争 フランスのカペー朝が断絶したあと、ヴァロア朝のフィリップ6世が王位についたのに対し、イギリスのエドワード3世が王位継承権を主張したため、1337年百年戦争が起こった。 百年戦争の背景としては、①イギリス王がフランス国内に領土を持っているこ…

ヨーロッパ諸国家の成立

フランス王国の形成と展開 カロリング朝の後王位についたカペー朝は、諸侯がイスラムやノルマン人の撃退で活躍する中、統制権を振る舞うことができなかった。特にセーヌ川下流のノルマンディー公家、ロワール川下流のアンジュー伯家は勢力が強く、相次いでイ…

都市と商業の発展

商業の復活 西欧では8〜9世紀は商業が停滞していたとされるが、11世紀になると三圃制や重量有輪犂などによる農業生産力の向上で、余剰生産物の交換を行う定期市が生まれるといった「商業の復活」が始まった。そして十字軍遠征をきっかけに遠隔地商業が展開し…

十字軍

第1回十字軍 巡礼熱が高まっていた11世紀、イスラムのセルジューク朝がイェルサレムを占領し、アルブ=アルスラーンがマンジケントの戦いでビザンツ領に進出しだしたため、ビザンツ皇帝アレクシオス1世は、ローマ教皇ウルバヌス2世に援助を求めた。ウルバヌ…

ビザンツ帝国

ビザンツ帝国はローマの後継者を自負し、ユスティニアヌス帝の代に、帝国の復興を目指した。6世紀前半にササン朝のホスロー1世と和を結び、名将ベリサリオスを用いてヴァンダル王国、東ゴート王国を滅ぼし、西ゴート王国からイベリア半島を奪って、地中海を…

教皇権の推移

ローマ教皇を頂点とし、大司教・司教・司祭という階層秩序を完成させたローマ教会は、世俗においては領主として権力を握った。こうした世俗化に対し、クリュニー修道院は改革運動を展開し、11世紀になるとクリュニー修道院出身の教皇が改革運動を推進させた。…

封建社会の成立

封建制 中世ヨーロッパでは、臣下は主君に忠誠を誓い騎士として軍役の義務を負った(ゲルマンの従士制)。一方、主君は臣下を保護し封土を与えた(ローマの恩貸地制)。この双務的契約関係として成立しているところがヨーロッパ封建制の特徴で、領主は国王に…

ローマ=カトリック教会の成立

ローマ教会の成立 カトリック教会には五本山と呼ばれるアレクサンドリア・イェルサレム・アンティオキア・コンスタンティノープル・ローマがある。7世紀になると、前三者はイスラム圏に吸収され、コンスタンティノープルはビザンツ皇帝の統制に服した。ロー…

ノルマン人の侵入

ノルマン人の活躍 スカンディナヴィア半島・ユトランド半島を現住地とするノルマン人(ヴァイキング)は、デーン系・スウェード系・ノルウェー系に大別される。彼らは船を操り、ヨーロッパ各地の沿岸部を荒涼して引き上げていたが、しだいに内陸部に侵入する…

王国の解体と中世国家の誕生

カロリング朝の崩壊 南からイスラム教徒の圧迫、北からノルマン人の侵入という状況で、中央権力の無力さが明らかとなり、王権そのものが分裂した。カールの子ルイ(敬虔王)の死後、843年のヴェルダン条約で三国に三分され、ロタール1世がイタリ及び中部フラ…

フランク王国の成立と発展

メロヴィング朝 5世紀末メロヴィング家のクローヴィスがフランク族を統一し、ガリア全域を支配下に収めた。この背景には、クローヴィスがローマ=カトリックに改宗し、ローマ=カトリック教会と提携したことがあった。 クローヴィスの死後王国は分裂と内乱を…

大移動の開始

移動と建国 4世紀後半に10程度に統合されたゲルマン人の部族国家は、人口増加や気候の変化による穀物不足が深刻化していた。375年中央アジアのフン族(一説では匈奴)が西進し、まず東ゴート族を、ついで西ゴート族を圧迫した。そのため西ゴート族は保護を求…

移動開始前のゲルマン民族

古ゲルマン社会 ゲルマン民族の原住地はスカンディナヴィア半島南部・ユトランド半島およびヴェーゼル川とエルベ川に挟まれた北ドイツのバルト海沿岸部だと推定されている。次第に南下してケルト民族(ガリアに住んでいた民族)を追い出し、ローマ共和制末期…

ムガル帝国の繁栄と衰退

アウラングゼーブ帝 アクバルの孫シャー=ジャハンと、その子アウラングゼーブの2代はムガル帝国の最盛期だった。シャー=ジャハンは都をアグラからデリーに移した。中央集権制も確立し、手工業も発達してインド史上で最も安定した統一国家となった。 しかし…

ムガル帝国の成立

インドの初期イスラム王朝 8世紀の初め頃からイスラム教徒のインド侵入が始まった。10世紀後半トルコ人がアフガニスタンにカズナ朝を建てた。7代目マフムードは何度も北インドに侵入し、北インドのイスラム化を行った。ガズナ朝が衰えると、1193年ゴール朝が…

ティムール帝国とサファーヴィー朝

ティムール帝国の盛衰 14世紀西チャガタイ=ハン国の衰退に乗じて独立したティムールは、サマルカンドを都としてイスラム教を基礎とするモンゴル帝国の再建をめざした。1402年アンカラの戦いでオスマン帝国のバヤジット1世を捕虜にし、中央アジアから西アジ…

オスマン帝国の衰退と文化

オスマン帝国の衰退 スレイマン1世の死後、大宰相ソコル=メフメット=パシャがでてしばらくの間盛時を維持した。しかし1571年のレパントの海戦でスペインに敗れて地中海の覇権を失った。またこのころからイェニチェリの堕落や封建領主の離反が進み、絶対主…

オスマン帝国の興亡

オスマン帝国の興起 13世紀末族長オスマン=ベイが、セルジューク朝の衰退に乗じてオスマン帝国を建国した。ビザンツ帝国領に侵入しながら、ビザンツの制度や技術を取り入れて国家体制を整備し、イェニチェリというキリスト教徒の子弟を強制的に徴集してイス…

イスラム文化

特色 広大な領域を支配したイスラム帝国は、古代世界におけるほとんどの先進文化を融合して新しく発展させて世界文化を創り上げた。またアラブ人は商業活動を通じて世界最高水準の文化を世界各地に伝えた。また各国の古典が翻訳され、特にギリシアの古典文化…

アラビア人衰退後の形勢

エジプト諸王朝とグラナダ王国 アッバース朝の衰えに対し、10世紀のエジプトにファーティマ朝がでた。シーア派を奉じ、カイロを建設して首都とし、自らカリフを称した。地中海・北アフリカ貿易を独占し、最盛期を迎えた。しかし1169年サラディンがファーティ…

イスラム帝国の発展

正統カリフ時代 ムハンマドの死後、アブー=バクルがカリフ(後継者)となり、政教両権を握った。以後アリーまでの30年を正統カリフ時代と呼ぶ。アブー=バクルのあと、2代オマル、3代オスマーンの時代に、イスラム教団は領土を拡大した。オマルの時代の642…

イスラム教の成立

ムハンマド出現の背景 ササン朝が興った3世紀頃、東西交通は主として陸路、ペルシャからシリアを経由していた。ササン朝とビザンツが抗争を始めると、インド洋から紅海をへてエジプトに出、パレスティナから地中海にでる路線が用いられた。こうしてメッカが…

周辺諸国家の変遷

明朝に中国本土を追われた元は、北元(タタール部)となってモンゴルを支配した。明の圧力が衰えると東モンゴルのタタール部と西モンゴルのオイラート部が抗争を続けた。15世紀の半ばにオイラート部がエセン=ハンに率いられて強盛となり、1449年正統帝をと…

明清時代の文化2

明清の文学と芸術 商工業が発達して庶民の生活が豊かになり、都市が繁栄して大衆が享楽を求めるようになったため、文学が発達して読者層を獲得した。明代には「水滸伝」「三国志演義」(羅貫中)、「西遊記」(呉承恩)「金瓶梅」などが作られた。短編小説集…

明清時代の文化1

明代の思想と学問 明代はモンゴル族の影響が抜けきれず、実用と実践を旨とした学問が発達した。清朝もこれにならい、中国文化を一層発達させた。永楽帝は朱子学の学説を集大成して、「四書大全」「五経大全」「性理大全」を編集させて国定注釈書とした。また…

明清時代の社会と経済

農村の階級分化 皇帝独裁の支柱である官僚は、高度な儒教的学問と教養を求められたため、大部分が農村の地主層によって占められた。彼らは自ら商人を兼ね、または商人と結託して、利益を土地に投じて農民を収奪した。彼らは郷神よばれ、こうして官僚・地主・…