封建社会の成立
封建制
中世ヨーロッパでは、臣下は主君に忠誠を誓い騎士として軍役の義務を負った(ゲルマンの従士制)。一方、主君は臣下を保護し封土を与えた(ローマの恩貸地制)。この双務的契約関係として成立しているところがヨーロッパ封建制の特徴で、領主は国王に対して不輸不入権をもったため、11〜13世紀の封建制の時には王権は一般に弱かった。
荘園制
8世紀頃、この封土に形成されたのが、荘園制で、経済基盤であった。荘園で農民は領主直営地で週2〜3日出向いて耕作(賦役)し、農民保有地を耕作して貢納の義務を負った。教会の十分の一税を納め、移転の自由はなく、領主の裁判に服する身分だったため、彼らを農奴と呼んだ。こうした賦役による直営地経営を行う荘園を古典荘園と呼び、地代を取った中世末の純粋荘園と区別している。
集村化
11〜12世紀になると農業技術の革新が起こり、鉄製の重量有輪犂が普及し、秋作地・春作地・休耕地に区別して輪作させる三圃制農法が普及した。こうして垣根で区切らない開放耕地制が取られて共同耕作が行われ、集村化が進み、この村落共同体を統治する領主が出現していった。また生産力を付けた農民は、賦役を余剰生産物で代替したり、金納化するようになった。こうして直営地が賃貸されて減少し、純粋荘園に変質していった。