スラヴ族とアジア系諸国家
東スラヴ
東スラヴ族が建国したキエフ公国は貿易によって利益を得ていた。10世紀末ウラディミル1世のとき、ビザンツ皇帝の妹と結婚し、ギリシア正教に改宗して国教とし、ビザンツ風の専制政治を導入した。このころから東方の遊牧民(ペチェネグ人)の侵入を受けてイスラム交易圏から切り離され、その後農業経営に重点を移して11世紀頃から農奴化するようになった。
南スラヴ
6世紀以降バルカンに入ったセルビア、クロアティア、スロヴェニア、ブルガリア人は南スラヴ族と呼ばれている。アジア系のブルガール人は、7世紀にブルガリア王国を建国して次第にスラヴ人と同化した。ギリシア正教に改宗し、ビザンツ皇帝に対抗したが、11世紀に崩壊してビザンツ支配下に入った。その後独立するも、14世紀にはオスマン帝国に征服された。
クロアティア人とスロヴェニア人はフランク王国の支配下に入ってカトリックを受容した。セルビア人はブルガリアに征服され、ギリシア正教に改宗し、15世紀にはオスマン帝国に従属した。
西スラヴ
エルベ川に移動した西スラヴ族は、神聖ローマ帝国の影響を受けカトリック圏に入った。9世紀にチェコ人がモラヴィア王国を建国し、フランク王国の影響でカトリックを受容したが、10世紀マジャール人の侵入で滅亡した。その後、プラハを中心にボヘミア王国を建国し、ドイツの宗主権下に入った。
ポーランド人はカトリックを受容した。スロヴァキア人は10世紀マジャール人の支配下に入った。
ビザンツ帝国は9世紀頃からスラヴ人のキリスト教化に乗り出した。「スラヴ人の使徒」と称されたキュリロス兄弟は、ブルガリアなどでの布教に成功した。またグラゴール文字を考案し、その弟子たちキリル文字を作ってロシア文字の母体となった。