移動開始前のゲルマン民族

古ゲルマン社会

ゲルマン民族の原住地はスカンディナヴィア半島南部・ユトランド半島およびヴェーゼル川とエルベ川に挟まれた北ドイツのバルト海沿岸部だと推定されている。次第に南下してケルト民族(ガリアに住んでいた民族)を追い出し、ローマ共和制末期にはほぼライン・ドナウ両川を結ぶ線でローマと接していた。
移動開始前のゲルマン社会を古ゲルマン社会と呼ぶ。これはカエサルの「ガリア戦記」やタキトゥスの「ゲルマニア」に描かれている。彼らは牧畜・狩猟を生業とし、半定着的農業をしていた。しだいに定着して私有の概念が生まれ、自由農民と奴隷を使役する大土地所有者の区別が生じた。数十の部族国家(キヴィタス)に分かれ、国家は人的結合に基づく社会集団で構成され、貴族・自由民・奴隷の身分階層があった。民会はあったが貴族が権力を握り私兵(従士)を持つなど、貴族支配体制であった。宗教は多神教を奉じ、職業的な神官は存在しなかった。

ローマ世界との接触

前2世紀末に武力衝突があったが、9年のトイトブルク森の戦いでローマ軍が敗退してから力関係が逆転した。これ以後ローマは守勢になったため衝突が減り、ゲルマン人コロヌス傭兵、下級官吏としてローマに浸透し続けた。帝政末期の衰退によりゲルマン人は正式な同盟者として辺境に入っていき、軍人皇帝時代にはオドアケル・スティリコ(西ローマを滅ぼしたオドアケルの父)のように要職に就く者も現れた。こうして帝国はゲルマン化して、内部から崩れていった。