十字軍

第1回十字軍

巡礼熱が高まっていた11世紀、イスラムセルジューク朝イェルサレムを占領し、アルブ=アルスラーンマンジケントの戦いビザンツ領に進出しだしたため、ビザンツ皇帝アレクシオス1世は、ローマ教皇ウルバヌス2世に援助を求めた。ウルバヌス2世は1095年クレルモンの公会議イェルサレム奪還の十字軍を提唱した。これに諸侯が応じ、聖地を奪還してイェルサレム王国を作った。

第3、4回十字軍

1187年アイユーブ朝サラディンイェルサレムを占領すると、英(リチャード1世)・仏(フィリップ2世)・独(フリードリヒ1世)が第3回十字軍を行ったが、奪還できなかった。教皇インノケンティウス3世は第4回十字軍を提唱したが、商権拡大をねらうヴェネツィアの意向を受け、コンスタンティノープルを攻略してラテン帝国を建てた。そのためビザンツ皇帝はニケーアに亡命政権を建て、ジェノヴァの支援を受けて対抗した。

第6、7回十字軍

仏のルイ9世北アフリカを攻撃したが失敗に終わった。この時期はイスラムの中心はカイロで、アイユーブ朝からマムルーク朝への転換期にあたっていた。

十字軍の影響

1291年十字軍の拠点アッコンが陥落し、十字軍は失敗に終わった。これによって教皇の権威は結果的に後退し、諸侯・騎士も没落するものが多くなった。こうして王権は伸張し始めた。また東方貿易の活発化によってイタリア諸都市が繁栄した。文化的には先進のイスラム文明やビザンツ文明と接触したことにより、西欧世界にスコラ学が発展した。
  
十字軍は、11世紀後半の大開墾時代による農業生産力の向上人口の増大、都市の興隆による交通の発達といった社会経済の活性化を背景にした、外への膨張運動でもあった。イベリア半島におけるレコンキスタエルベ川以東への東方植民も、同様の意味を持つものと言える。