歴史

清朝の中国支配

清朝の成立 金朝を興した女真族は、その後も中国東北地方に残っていた。建州部のヌルハチは後金を建て、八旗軍を建設して、1619年サルホの戦いで明軍を破った。その子ホンタイジはチャハル部を平定し、朝鮮も服属して国号を清と改め、皇帝となった。1644年順…

明朝の興亡

明朝の成立 紅巾の乱で活躍した朱元璋は、1368年金陵を都として明朝を建て、元朝を北方に追い払った(北元)。漢民族の復興を目標として異民族打倒を呼びかけ、揚子江下流の穀倉地帯を手に入れて中国統一を成功させた。 一代の間は年号を変えない一世一元の…

元の社会と文化

社会・経済 金末の戦乱で、華北は大土地所有者が没落して自作農が増加したが、江南では大土地所有が行われて佃戸制がますます発達した。また揚子江流域に綿花の栽培が普及し、木綿が安価で供給された。この江南の経済力に依存していた元は、江南から華北への…

元朝の滅亡と周辺諸国

元朝の滅亡 元朝の衰退は案外早かった。その原因としては次のことが挙げられる。①皇位継承をめぐる内紛である。フビライ選出時のクリルタイが分裂を決定的にした。皇太子が必ず皇位を継承することではなかったのである。②ラマ教信仰による出費である。元の皇…

モンゴル民族の活動

モンゴル帝国の成立 モンゴル諸部は金の政策等によって団結できていなかったが、金の勢力衰退とテムジンの出現により統一が実現した。テムジンは1206年にモンゴル帝国を成立させ、チンギス=ハンと名乗った。かれは契丹人の耶律楚材を登用して国家体制を整備…

宋の社会と文化

●社会と産業 唐末から五代にかけた混乱を通じて、門閥貴族が没落し、士大夫階級からなる地主階級(形勢戸)が勢力を持った。彼らは広大な荘園の主となっていき、佃戸制が広がっていった。農産物では米が品種改良や二期作・二毛作によって増産した。養蚕や茶…

北方民族の中国侵入

契丹の盛衰 モンゴル系の契丹は、9世紀中頃ウイグルの崩壊とともに唐文化の影響を受けて隆盛となった。唐の滅亡後、耶律阿保機が遼を建国し、926年に渤海を滅ぼして東北地方頭部を勢力下とした。後晋の建国に際しては、武力援助を与えその代償として燕雲十六…

五代の分裂と宋の統一

五代十国 唐の滅亡後907年に朱全忠が後梁を建てたが、続いて後唐・後晋・後漢・後周が交代した。この期間を五代という。後唐・後晋・後漢を建てたのは、沙陀突厥出身の武将であった。ちなみに後唐が洛陽を首都とした以外は、すべて汴梁(開封)であった。 五…

中国近隣諸国の発達

モンゴル高原では五胡の一つの鮮卑が衰えたのち、5世紀に柔然が北朝を脅かした。6世紀中頃にはトルコ系の突厥が強盛となり、東西貿易路を支配して発展した。しかし内紛によって東西に分裂し、東は唐に滅ぼされた。西はビザンツ帝国と同盟してササン朝に侵入…

唐の社会と文化

唐の諸制度 中央官制は尚書省・中書省・門下省の三省と、吏部・戸部・礼部・兵部・刑部・工部の六部から構成されている。中書省は詔勅の草案を作り、門下省で審議して尚書省へまわされ、それが六部を通じて施行されるという仕組みになっている。官吏任用制度…

隋・唐の統一

隋の南北統一 楊堅が長安を都として建国した隋は、589年南朝陳を滅ぼし南北を統一した。文帝は均田制や府兵制を受け継ぎ、大土地所有を抑えるなどして中央集権の確立に努めた。その代表的なものとして、試験による官吏任用制度の科挙が行われた。 次の煬帝は…

貴族社会とその文化

大土地所有制 後漢末の混乱の中で、流民化した農民に土地を耕作させて収益を上げ、豪族は地方の実権を握るようになった。彼らは相互に通婚をして門閥貴族となり、中央の政治まで左右した。 こうした貴族の大土地所有と農民の隷属化は、国家の財政と軍事の基…

中国の分裂と異民族の侵入

三国の分立と晋 後漢の弱体化とともに、豪族が勢力を伸ばし、農民を使役して大土地を耕作させて豊かになった。これらの豪族から曹操がでて華北の大部分を平定した。その子曹丕は帝位を譲り受けて魏を建国した。それに対し劉備は諸葛亮の補佐を得て、蜀を建国…

中国周辺の情勢

匈奴 前4世紀頃、スキタイ青銅器文化を学んだ騎馬遊牧民族で強盛となった匈奴は、しばしば中国に侵入した。前3世紀末に冒頓単干が現れると、東西貿易路を独占し、大遊牧国家を建設した。しかし漢の武帝によって弱体化し、前1世紀に東西に分裂した。東匈奴は…

漢時代の社会と文化

社会 当初は郡国制を行っていたが、呉楚七国の乱以降、中央集権化を図り郡県制となった。また郡・県の下に郷・里を置く郷里の制を行った。官吏登用法は郷・里の有力者と地方長官が推薦する郷挙里選を行った。後漢ではそれに加えて形式的な儒学の試験で採否が…

秦・漢帝国

秦の統一 商鞅を用いて中央集権化を進めた秦は、都を咸陽に定め、前256年に周を滅ぼした。次の秦王政は、前221年全国を統一し始皇帝と名乗った。そこで法家李斯の献策に基づいて統一政策を行った。官制については、丞相・大尉・御史大夫をおいて中央集権的官…

中国古代帝国の成立と文化

春秋戦国時代 周の東遷以後権威は衰えたが、斉の桓公を中心に同盟を結んで周を擁護する尊王攘夷を唱えた。この有力諸侯を覇者という。この桓公以外にも、楚の荘王や呉王夫差、越王勾践などが覇者となり、春秋の五覇と呼ばれた。しかし戦国時代になると周王室…

中国古典文明

中国の原始文明 前4000年頃から前2000年頃に、東アジア最古の文明である原始農耕文化が発展した。一般に彩陶文化と黒陶文化に分けられる。彩陶文化は磨製石器を用いて、穀物を栽培したり、豚や犬を飼育した。また甑などの灰陶や彩陶を用いた。その住民は現在…

インドの古典文明(統一国家の成立と文化)

統一国家の成立 アーリア人はガンジス川流域に多くの小王国を建てた。なかでも中流域のサーヴァッティに拠ったコーサラ国とパータリプトラに拠ったマガダ国が優勢であった。マガダ国は、コーサラ国を抑え仏教やジャイナ教を保護して強盛を誇ったが、統一勢力…

インド古典文明(インダス文明、バラモン文化)

インド初期文明 前2500年頃からメソポタミア文明の影響を受けて青銅器文化を持つ都市文明が起こった。モヘンジョ=ダロやハラッパー(パンジャブー地方)が代表的な遺跡である。インダス文明は人間的・平和的な文明で、農業を基礎産業として彩色土器を製作し…

イラン文明

ヘレニズム時代の西アジア アレクサンドロス大王の死後、西アジアの大部分を支配したのは、ギリシア系のセレウコス朝シリアである。エジプトのプトレマイオス朝とともに繁栄したが、古代ペルシア系の土候勢力が強かった。前3世紀頃、アム川上流からギリシア…

ローマ文化

ローマ文化は独創的な文化ではなかったが、ギリシア文化を受け継いで、後のヨーロッパ世界に伝えた点に功績がある。 哲学では世界市民主義・個人主義に立脚したストア派哲学が全盛だった。「幸福論」を書いたセネカ(ネロの家庭教師)、「自省録」を書いたマ…

ローマ帝国(専制君主制と没落)

専制君主制の時代 軍人皇帝時代を収めたのはディオクレティアヌス帝だった。彼は広大な帝国の統治と防備のため、帝国を2分してそれぞれ正・副帝をおく四分統治を行った。また元老院の機能を全廃して、皇帝崇拝を強行する専制君主制(ドミナートゥス)を樹立…

ローマ帝国の成立

三頭政治 スラの死後、閥族派の首領ポンペイウスは、ミトリダテスの反乱を鎮圧して名声を得た。しかし元老院に冷遇されたため、平民派のカエサル、富豪のクラッススと同盟を組み。前60年三頭政治を成立させた。クラッススが死ぬと、ポンペイウスとカエサルが…

ローマ(帝政への過渡期)

イタリア半島の統一 エトルリア人を共同の敵とするラテン都市同盟を結成したローマは、前4世紀頃までにエトルリア人をほぼ完全に征服した。他の都市がローマに反抗したため征服活動を行い、前272年タレントゥムを陥れてイタリア半島を統一した。これらの都市…

ローマ

初期イタリア ティベル川流域に発生した都市国家ローマ。平野や良港が少なかったため、オリーブやブドウの果樹、穀物や牧畜を行って生活した。前900年頃、小アジア方面からエトルリア人が移住した。ローマを作ったラテン人もエトルリア人の支配下にあり、政…

ヘレニズム時代

ヘレネス(ギリシア人)に由来する言葉。ドイツの歴史家ドロイゼンが命名した。 マケドニア ギリシアのポリスの衰退期に北方で原始的な王政の段階にとどまっていたマケドニア。王権はあまり強大でなかった。前359年に即位したフィリッポス2世は、王権を強化…

ギリシア史の展開(ペルシア戦争、ギリシアの衰退)

ペルシア戦争 ギリシアの東方で大帝国を築いていたアケメネス朝ペルシアは、小アジアのギリシア諸都市を征服していた。それに対し、ミレトスなどのイオニアの諸都市が反乱を起こしたが、鎮圧された。アテネはこの反乱を援助していたため、ペルシアの大王ダレ…

ギリシア史の展開(スパルタ・アテネ)

スパルタ ドーリア人が建設したスパルタは、ギリシアでは例外的に大きな領土を有していた。ドーリア人の支配体制を維持するため、独自の軍国主義的な政治・軍事体制がリュクルゴスによって形成された。 身分構成は ①完全な市民権を有するスパルティアタイ−労…

ギリシア史の展開

前12世紀のドーリア人の南下によって、ミケーネ文明は崩壊した。これによりギリシア全土が混乱し、暗黒時代を迎える。文字の知識も失われ、文字による資料も完全に欠如した。 ポリスの形成 前8世紀頃、ポリスと呼ばれる都市国家が各地に成立する。大きいもの…