中国近隣諸国の発達

モンゴル高原では五胡の一つの鮮卑が衰えたのち、5世紀に柔然北朝を脅かした。6世紀中頃にはトルコ系の突厥が強盛となり、東西貿易路を支配して発展した。しかし内紛によって東西に分裂し、東は唐に滅ぼされた。西はビザンツ帝国と同盟してササン朝に侵入し、東西貿易を独占し、ソグディアナをトルコ化する素地を作ったが、唐に征服された。ちなみに最古のトルコ語文献としてオルホン碑文があり、突厥文字で書かれた。
8世紀中頃トルコ系遊牧民ウイグルが興った。安史の乱時に唐に援軍を送るなどし、その後は唐を圧迫した。ソグド商人と結んで東西貿易に活躍し、ソグド文字にならってウイグル文字を作った。9世紀半ばにキルギス部の吸収を受けて崩壊し、その後パミール高原を中心とした中央アジアに移住したため、そこはトルキスタンと呼ばれるようになった。
  
チベットでは7世紀に吐蕃がおこり、ラサを首都として国家を形成した。安史の乱に乗じて西域に勢力を拡大し、唐と西方との交通を断ち切った。この国では仏教をチベット化してラマ教を作り、インド文字をもとにチベット文字を作ったが、唐より早く衰えた。
雲南地方ではチベットビルマ系民族が大理を首都として南詔を建てたが、10世紀初頭に滅亡した。ベトナムでは唐の滅亡後、独立して大越国を作った。
  
朝鮮では都を慶州においた新羅が唐と連合して高句麗を滅ぼした後、7世紀後半には唐を排除して朝鮮に統一国家を建設した、唐文化を輸入して国家体制を整えた。骨品制という制度をつくり、聖骨・真骨などの身分制を施した。しかし10世紀には高麗に滅ぼされた。また7世紀末には高句麗の遺民大祚栄靺鞨人渤海国を建国し、唐の文化を日本に伝えた。首都の上京龍泉府の遺跡が残っている。