宋の社会と文化

●社会と産業

唐末から五代にかけた混乱を通じて、門閥貴族が没落し、士大夫階級からなる地主階級(形勢戸)が勢力を持った。彼らは広大な荘園の主となっていき、佃戸制が広がっていった。農産物では米が品種改良や二期作二毛作によって増産した。養蚕や茶の栽培も江南で普及し、景徳鎮磁州で喫茶の流行に伴って陶磁器の生産が盛んになった。
商業は都市を中心に発達した。(商人)・(手工業)という同業者組合を作り、専売などで活躍した。貨幣経済も発達し、北宋では手形としての交子が、南宋では会子といった紙幣が使用されるようになった。こうして都市は以前の政治都市ではなく、開封や臨安といった商業・海港都市に変質していった。貿易の発達によって、広州・泉州・明州などに市舶司が置かれた。また地方には鎮・市(草市)が発生した。また宋の南渡によって江南の開発は著しく進み、経済状態は北宋をしのぐほどになった。

●文化

宋時代の文化は文治主義の採用により大いに繁栄した。特徴は①士大夫階級によって儒学が著しい展開をみせ(宋学の発達)、②都市の庶民によって、庶民文化が興ったことである。
儒学禅宗の影響もあって、古典の精神から新しく再建する動きが現れた。まず北宋周敦頤に始まり、程邕・程頤をへて、南宋朱子によって朱子学宋学)が成立した。朱子大義名分論や王朝の正統論を説き、宋の君主権の絶対性を理論付けた。一方同時代の陸九淵朱子の二元論に対し、唯心論的儒学を唱え、明代の王陽明に受け継がれて陽明学となった。
史学にも「春秋」の大義名分論・正統論を取り入れようとする傾向が現れ、司馬光編年体で「資治通鑑」を著したほか、「太平御覧」や、「資治通鑑綱目」などの著述がなされた。文学では古文復興運動が展開して、欧陽脩蘇軾蘇轍らの唐宋八家といわれる名文家がでた。また庶民階級の興隆に伴って、戯曲や伝奇小説が発達し、元代流行の先駆となった。
美術では特に絵画の発達がめざましかった。人物画に代わって山水画花鳥画が重要な位置を占めた。特に徽宗は画院を設けたため、院体画と呼ばれる絵が流行した。これに対し、士大夫階級は水墨画文人を完成させた。この両派は北宗画と南宗画として中国画壇の中心勢力となった。
唐代に起こった木版印刷術の発達によって、都市には書店が出現した。11世紀には膠泥活字畢昇によって発明され、活版印刷術も起こった。他には火薬が発明され、12世紀には羅針盤が発明された。これに漢代の紙の発明を加えた中国の4大発明は、いずれもヨーロッパに伝えられて、ヨーロッパ文化に影響を与えた