秋葉原通り魔事件

亡くなった人々のご冥福をお祈りします。亡くなった人の友人の日記を見たけど、とても悲しいものだった。「日常」が無くなるって想像できない。
こういう事件が起こると、「どうして止められなかったのか」とか「社会が悪い」といった論調がメディアを駆けめぐる。簡単に言うけど、もしかしたら言わなきゃいけないのかもしれないけど、それだけ何も変わらない。つーか「社会」の中におまえらも入っているんだぞといいたくなる。あーやってしゃべっている人が、一番リアリティなく話しているんだろうなと思う。
中には「学校が悪い」とか「地域が悪い」っていうのもあった。はっきりいうが、学校も地域も万能じゃない。そんななんでもできない。「命が大事」とか「友達を大切に」とか、試行錯誤しながら伝えようとするが、生徒に伝わって身になっているかなんかわかりゃしない。人の心なんて、他人にわかるものでもないから。ただでさえ、よけいな雑務が増えていて、余裕のない状況なんだし。しかも財政難で人手も足りない。できることとすれば、可能な限り努力するだけ。
家庭、地域、学校、友人、職場などなど、たくさんの網がかかっている。ただそのどこにもうまく引っかからなかったのだろう。友人と連絡をとっていたようだが、そこにも引っかからなかった。それも意外だった。その友人は「まさか」と思っただろう。しょうがないことだ、誰も今回のような事件を起こすなんて、想像することすらできない。
原因は一つではない。短絡的に結びつけても、なんの意味もなさない。一人一人が「何ができるか」考えないといけないと思う。そんなことがムリなら、社会は変わらないと思う。少なくとも、事件の様子を伝えるために、野次馬が取っていた写真を繰り返しメディアが報道しても、何か変わるとは思えない。あれだけ貿易センタービルの崩壊を繰り返しみせても、何も変わっていないのだから。

朝、たまたまみのもんた見てたら、すげー頭にきた。なんか犯人がネットに日記書いていたんだから、そういうものをすぐに発見できるようにつくればいいんだよってなことを言っていた。あの人は、なんでテレビでてるかわからない。すぐ他人まかせで、そこに自分がいない。眠そうな顔して、適当に話して、それで「つくればいいんだよ」って。どんなに機械にまかせても、そこに必ず人が介在し、一つ一つチェックして判断しているのに。みのもんたが金だして、開発し、人を雇えば一番いいだろ。「あなたがやりなよ」