永遠のウソ

少し前に見たブログに「永遠の嘘」について書かれたものがあった。そういうのは、働くようになって結構出くわすことがある。仕事をあまりしない(問題のある)同僚がいるとしよう。陰では結構ふれられてたたかれたりするけど、本人にそれを伝える人は少ない。たとえ伝えたとしても、周りから「いってもしょうがないのに」的に見られることが多い。みんなこれを想定してしまうから、何もしなくなり、結果として仕事をしない同僚は表面的に肯定されているように見える。こういう暗黙の了解というか永遠の嘘が、私は結構苦手である。何のための仕事かということも同じだ。結構この仕事はなんのためだ?と悩むような仕事もある。そんな仕事は大概やる気がでない。
よく「ホウ・レン・ソウ」が大切だという話も聞くが、これも時として報告しないことが正義となることもある。たとえば会社が利益を出すために環境をすこし汚しているとする。社会的な正義としては公表することが正しいのかもしれないけど、企業を中心に考えると公表しないほうがよい。このあたりが難しくなる。
正義は個人個人違うから絶対を探すのは難しい。ということは正義に普遍性があるか考えるということか。それもとんちんかんな話かもしれない。そもそも何が正義なのか、普遍性はいったい誰にとっての普遍性なのか、考える主体は私自身でいいのか。
病んでるな。こんなことを考えるから、永遠の嘘が苦手なのかもしれない。