国母騒動に思う

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100218-00000022-ykf-spo

“腰パン王子”が玉砕した−。17日(日本時間18日)に行われたスノーボード男子ハーフパイプで、公式服のルーズな着こなしや記者会見の態度が問題となり、図らずも注目を一身に集めた国母和宏(21)=東海大=が登場。決勝に温存した大技に失敗し、転倒。逆境を力に変えることはできず、8位入賞にとどまった。ともに決勝に進んだ青野令(19)は9位。スノーボードのカリスマ、ショーン・ホワイト(23)=米国=が連覇を果たした。

「ちっ、うるせーな」で大きく取り上げられた国母選手の服装問題。一時は、出場辞退にまで発展しかけたが無事に出場し、入賞を果たした。いろいろと世間をにぎわせている服装問題についてちょっと難しく考えてみた。
単純に考えてみると、TPOをわきまえていないということになるだろうか。ただその批判はTPOを日常的にわきまえている人には意味があるかもしれないが、そうでない人にはあまり意味がないと思う。世の中にはTPOをわきまえないのが自分のスタイルだと考えている人もいそうだし、そういう人にはTPOうんぬんといっても、よりそのスタイルを固持していくだけだと思う。公式とか非公式とかもそう。公式だからこそ、それを崩すことに意味があるわけで…。露出狂が風呂の中で裸になっても、何も興奮しないことと同じだと思う。
だからといって、服装原理主義だというホリエモンに同意するわけではない。まあ服装原理主義も意味がわからないけど。少なくとも世の中にはTPOをわきまえる人と、TPOをわきまえない人がいるわけだ。そしてTPOをわきまえた方がいいと思っている人が、たぶんだけど多数派を占めているのだと思う。とすると、TPOをわきまえない人は、TPOをわきまえる人に批判されるということだ。TPOってのは、一種のマナーであり、それを守ることがよいとされてきているものだ。だからTPOを守れば、TPOを守らない人が批判する訳ではないし、何も問題はない。とすると、大概の人はTPOをわきまえるわけだ。すると逆にTPOをわきまえないのがかっこいい的な対抗文化意識が生まれる。
なんか巨人ファンとアンチ巨人、みたいな話になってきたけど、この場合大切なのは、TPOをわきまえない人はどうするかということだ。当たり前のように批判されることは目に見えているし、それを半分望んでいる(TPOをわきまえない人はTPOがなければ成立しない)。ということは「すじ」を通すならば、記者会見で「服装は変えません」と言うか、「すみませんでした(心の中では「おめーに関係ねー」と思っている)」と言うか、のどちらかなのかなと思う。前者は本当の意味で「折れない」、後者は自分のスタイルを貫き通した責任を自ら取るという意味のつもり。前者を選ぶと、たぶんオリンピックには出場できてないかもね。リスクは非常に高い。批判もすげー受けるから、あまり現実的ではない。後者は自分で起こした問題を自分の一言で(表面上は)解決するという、ちょっと大人の対応。ある意味「逃げた」と思われるかも。
こうやって考えると、国母選手の「ちっ、うるせーな」はダメな例だと思う。自分のスタイル貫いていないし、自分が起こした(起こることが想像できた)騒動に、なんの責任も負っていない。だからすごく残念だった。
俺は服装ってそんなに大事?と思う方なので、時流に流されます。服装検査が厳しい所であれば厳しくするし、どうでもいいところではどうでもいい。ただルールに従わない場足は、その責任は自分で取るしかない。もちろん取り方は人それぞれだと思うけど、責任を「うるせーな」でごまかしてはいけないと思う。国母選手はすばらしい選手だと思うし、「リアルスノーボーディング」なんて意味がわかりにくいけど、自分のスノーボードに対する思いは人一倍あると思うので、服装なんてどうでもいいところで注目されたのが残念だなと思いました。