古代国家はいつ成立したか

古代国家はいつ成立したか (岩波新書)

古代国家はいつ成立したか (岩波新書)

 本屋の新書コーナーをうろうろして買ってしまった本。特に理由はないけど、日本古代が分裂していたとか、いろいろ確認したいことがあったのもあり購入した。内容は時代ごとにそって展開されるが、いつ頃に国家の体裁が整い、権力が集中していったかを、古墳や生活様式、使用しているものなど、考古学的な視点から、緻密な分析をまとめた内容である。非常にわかりやすくおもしろい。
 弥生時代には環濠集落が出現していた。当初は指導者的なリーダーは農民とともに生活していたのだが、次第に力を持っていくと集落から離れ、居館を構えるようになる。さらに墓も共同墓地から独立した墓が築かれるようになる。こうして実際上の権力を握る首長となっていく。
 弥生時代中期の内乱は、出土された鏃などから、日本各地のブロック内の争いで、各ブロックで勢力がまとまりだしたと。そして卑弥呼が誕生する前に起こった内乱は、祭器の広がりなどを踏まえてブロック同士の戦争だったとしています。
 そして古墳。弥生時代の墳丘墓が次第に前方後円墳前方後方墳に発展していき、方墳系と円墳系の争いが始まる。卑弥呼はこの前方後円墳の中心?で、方墳系と円墳系の争いは、円墳優位で終結する。とはいっても、方墳も残っているので、筆者はお互いの立場を相互に承認するような緩やかな統治体制だったと述べている。
 この古墳時代、大規模な古墳の場所の移動が起こっていたようです。しかも4世紀末から5世紀初頭にかけて、日本列島各地で起こっているようです。これは政権中枢が大和東南部から河内の勢力に移ったことで、日本列島の河内勢力が権力を握ったと分析しています。もう一回は五世紀後半の変動。これを筆者は雄略天皇の中央集権化と一体として捉えているようです。雄略天皇は古来の伝統的支配体制から中央集権化体制へと変換させようとしたため新たな勢力が出現したと考えています。最後は六世紀前半、これは継体天皇の即位と関係があるのではと述べています。これは渡来人系の勢力が継体天皇を支える勢力になったからではと述べています。
 題の「古代国家はいつ成立したか」を解明するためには、これの変化に加え、統治組織の分析が必要です。身分制や租税組織、官僚機構、常備軍、物流の掌握など、国家の成立に必要と思われる用件が結構あります。律令制の頃は古代国家といっていいのだろうけど、その萌芽はいつだったのか、明確に述べられております。