ハートネットTV「子どもクライシス」

http://www.nhk.or.jp/heart-net/tv/series/kodomo_crysis.html
“ひとりもとりこぼされない社会”には何が必要か―。
4月の特集では、子どもに焦点をあてます。日本の少子高齢社会の「希望」であるはずの子ども。しかし、いま子どもの6人に1人が貧困状態にあります。国は今年「子どもの貧困対策法」を施行、総合的な対策に乗り出しました。
一方、4月の消費税アップによる増税分5兆円のうち社会保障にあてられるのはわずか5千億。子ども支援の財政的後ろ盾は心もとないままです。制度のはざまに落ち込み、貧困に苦しむ子どもたちと、その支援の現場を追います。

 現在の日本の福祉といえば、大概「高齢者福祉」をイメージしてしまう。政府はどうしても、選挙に有効な対策をとりがちだから。その影で、子どもへの支援が置き去りにされている。
 特別支援学校や指導困難校で働いたとき、その実態をかいま見ることができた。ある高校で長年勤務したとき、それを痛感した。最初にきた頃と転勤する頃で、生徒や家庭の実態が変わっていたのだ。諸納金の未納率は高かったが、授業料が無料になっても支払いが遅れてしまう。両親が離婚してしまっていたり、生活保護を受けていたりと、家庭の経済力が失われていった。それに伴い、生徒の実態も変わっていた。元気(悪い意味でも)な生徒が多かったがおとなしくなり、欠席の多い生徒が増え、クラスで孤立してしまう生徒が増えていった。
 もちろん「時代が変わった」のだろう。しかし「食べるものが米しかない」というような家庭はなかった。転勤する前に持ったクラスでは、そういってた生徒が数人いた。これは明らかに「貧困」。そしたら相対的貧困なんて、「6人に1人」どころじゃなかっただろう。残念ながら「文化的再生産」を実際に痛感してしまった。
 番組の中で「親の貧困は子どもに関係ない」というようなセリフがあった。けど、それを変えるのは結構大変。「目標とする大人」が回りに少ないと、結局「文化的再生産」が起こりやすい。身近に、たくさんの、目標とする大人がいると、ベストかなぁと思った。番組の中で紹介されていた、「大阪子どもの貧困アクショングループ」や「山王こどもセンター」、「山科醍醐こどものひろば」の活動は、すげーと思った。学校と家だけでなく、それ以外の大人が、子どもに関わっていく。これが今一番あり得る政策だと思う。
 残念だけど、学校は完全ではない。むしろ不完全。教員もそう。だから指導困難校だと、1人の生徒にたくさんの教員が関わっていく。担任とうまくいかなかったら部活の顧問、部活の顧問もダメだったら副担、教科担任、それでもうまくいかなかったら保健室や教育相談など。こうやって関わり合いを増やすことで、生徒が自分で繋がりを強くし、できるだけ居場所をつくる。けど、これでは「学校に来れない生徒」には対応できない。家庭訪問にいっても、難しいときは難しい。だからこそ、学校と家庭とは別の、第3の居場所が必要なんだと思う。意外とそこがうまくいくと、学校・家庭ともつながれるようになる。第3の居場所はどこだっていい。バイト先でも就職先でも。けどそこにもいけない子どもたちに、上記の施設が必要なんだと思った。
 ぜひこういう活動を全国でやっていただきたい。

 しかしこういう活動を締め付ける大阪市は何を考えているのか。受益者負担の原則?それだったら、その理屈を全てに当てはめてみろ。高校授業料の無償化なんかできるわけがない。義務教育じゃないし。あと進学校に対する教育支援や成績優秀な生徒に対する特別な支援なんかもダメ。
 なぜ最近「子どもの貧困」が叫ばれるようになってきているのか、大阪市はそこを無視している。優秀な子に活躍の場を与えることも大切だが、今絶対数が増えているのはその逆。貧しい世帯にも必要な支援をして、この流れを変えなくては。