100分de名著「愛するということ」
フロム『愛するということ』 2014年2月 (100分 de 名著)
- 作者: 鈴木晶
- 出版社/メーカー: NHK出版
- 発売日: 2014/01/25
- メディア: ムック
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本当の幸せを探したときに 愛し愛されたいと考えるようになりました そして私は君の強さも隠しがちな弱さも汲んで 〜 あたしは君のメロディーやその哲学や言葉全てを 守り通します君が其処に生きているという真実だけで 幸福なんです
最初は「愛し愛されたい」だったけど、最後は「君が其処に生きているという真実だけ」と変わってるな。まさに「愛する女性」といった幸福か。
ついで「千年幸福論」(by amazarashi)
千年続く愛情を 千年続く友情を 千年続く安心を 千年続く幸福を 僕らは望んで止まないけれど そんなもの何処にありましょうか
んー、どちらかというと幸福を「望んでいる歌?」かな。「千年も続かない」とわかっているのに求めてしまう、それが「幸福」ってことか?
最後に「幸福論」(by福山雅治)
「幸せ」を難しく考えずに 語り過ぎずに 未来永劫変わらないモノと 期待し過ぎたりしないで そのつど自然と降りてくる 〜 君がそばにいる それが大切さ 君がよろこぶなら それが 僕の生きる意味
たまたまituneに入ってた曲なのだが、なんか繋がったなぁ。「君が喜ぶなら」とか「君が笑顔なら」という歌詞が多い。「つまり他者が幸福と感じているなら、自分が幸福だ」ということか。また繋がる…
閑話休題。フロムの「愛するということ」です。始まりはこうです。
《愛するという技術について〜、愛というものは、その人の成熟の度合いに関わりなく誰もが簡単に浸れるような感情ではない、ということである。》
フロムは愛は「技術」であり「誰もが浸れるものでもない」と言っているわけだ。フロムは人々は愛について誤解していると言っている。
- 1つ目は、「愛する問題ではなく、愛される問題」として捉えている
- 2つ目は、「愛は能力の問題でなく、対象の問題」となっている
- 3つ目は、「恋に落ちることと、愛しているという持続的な状態を混同している」
なかなかどうして。耳が痛い話かもしれない。
《人間の、統一のない孤立した生活は、耐え難い牢獄と化す。この牢獄から抜け出して、外界にいるほかの人々となんらかの形で接触しないかぎり、人は発狂してしまうだろう。》
人は孤独に耐えられない。孤独から逃れるために、様々なことを行うが、それらの大半は一時的にすぎない。だから「愛」が必要なのだと。その愛は「与えること」から始まる。資本主義が「贈与」から始まったのと同じように。しかし人は見返りを求めてしまう。まずは「自己愛を乗り越える」ことが大切だとフロムは言う。
《もしある人が生産的に愛することができるとしたら、その人はその人自身をも愛している。もし他人しか愛せないとしたら、その人はまったく愛することができないのである。》
昔、友人が「自分が好きなの?俺は自分が嫌いだ」と言ったので、「自分が嫌いなのに、他人を好きになれるかな。自分を好きにならないと」と言ったことがあったが、似てるねぇ。
フロムは「愛」に必要な4つの性質を上げている。
- 「配慮」…他者に対する想像力
- 「尊重」…相手と自分が平等な価値ある存在と認めること
- 「責任」…相手の精神的な求めに応じる用意
- 「理解」…相手を知ることによって自分自身を知る
いろいろと書いてきたが、人と結構密接に関わる仕事をしていると、すごく自分を見ている気がしてくる。生徒を怒鳴りつけても、説教しても、何かを教えていても。それらの行為には「自分が生徒だったら納得するか」や「自分はそんなこと言える立場か」など、いろいろ後でくっついてくる。それを考えると、自分自身の「あら探し」になるんだな。家族だって同じ。嫁さんとケンカしても思うし、子どもなんて自分の悪いところ?から似てくる。そういや部活の指導でもそう感じたな。もちろん、全てを改善できないし、そんなことで悩んだら鬱にでもなりそう。けど、改善できることは改善するし、難しかったら放置する。意外と塩漬けしたらいい味でるかもしれないし。それを続けていくことが「成熟」になるのかなと感じた。