<集団的自衛権>81年見解を変更 戦後安保の大転換

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140701-00000144-mai-pol
 政府は1日、臨時閣議を開き、憲法9条の解釈を変更して集団的自衛権の行使を容認すると決めた。集団的自衛権は自国が攻撃を受けていなくても、他国同士の戦争に参加し、一方の国を防衛する権利。政府は1981年の政府答弁書の「憲法上許されない」との見解を堅持してきたが、安全保障環境の変化を理由に容認に踏み切った。自国防衛以外の目的で武力行使が可能となり、戦後日本の安保政策は大きく転換する。

 タイムリーな更新。自分の気になっているのか、不安なのか。まあそんなとこかしら。友人からも「これってどうなの?」とメールが来る。さてさて。
 自衛権って、個別的自衛権とか集団的自衛権とか、あんまし分けて考えないって昔は言われてた気がしたけど…、どうなんでしょ。けど記事にもあるように、W.W.2後の日本の安全保障体制が大きく転換したことは間違いない。
 なぜ集団的自衛権を容認すると決めたか、その背景にいくつか疑問が残る。首相が示したいくつかの個別的事例について、なぜ集団的自衛権を容認する必要があるのかがわからなかった。そういった事態が想定されるならば、法律を作って対応することがまず選択肢だと思うのだが(むしろ、現段階まで、そういった事態を想定した法整備をしていないことが問題だと思う)。
 二点目、集団的自衛権によって首相は戦争に巻き込まれること減るといい、その例を日米安保を引き合いに出していたが、その論理もおかしい。記事にもあるように「安全保障環境の変化を理由に」とあるから、日米安保の頃と安全保障環境に変化があるはず。そしたら、今回の集団的自衛権の行使が戦争に巻き込まれる可能性を減らすという論理は、その前提を欠くために成立しなくなる。
 三点目、明らかに安全保障体制が変化するため、何をしたらデメリットが発生するかを明らかにすべきだと思う。例えば2003年のイラク戦争では、日本の自衛隊の活躍は目を見張るものがあった。明らかに他国の軍隊と異なったイメージを与えられたといくつかの本で読んだ(もちろん隊員の方々の心的ストレスは尋常ではなく、NHKでもやっていたように大きな問題だと思う)。しかしそういった海外派兵のアプローチは今後に生かせるはず。今後もこういった活動を通しながらも日本人全体がテロの標的にならないように苦慮すべき。なので、どのような活動を行ったら危険が高まるかを明示し、それは避けるという見解が必要だと思う。それこそ抽象的ではなく、個別具体的に。
 四点目、「安全保障環境の変化」とは何を指すのか、中国や北朝鮮の動きを指すのか。中国や北朝鮮の動きは、たかだか「集団的自衛権の行使容認」で収まるものなのか、それが疑問。ベトナムにあれだけ好き勝手やっているのに。今回のウクライナ情勢でアメリカが蚊帳の外という事実を見る限り、「集団的自衛権の行使容認」で変わるとは思えない。どちらにせよ「日米が中国を攻撃する」というとはないし、そこを中国がつけ込んでくることは容易に想像される。
 けど、上記に書いたことはたいした問題ではないのかもしれない。
 集団的自衛権は必ず行使しなきゃいけないわけではないし。たとえNATO(集団安全保障)の単独行動でもNATOの全加盟国が軍隊を出しているわけではない。それぞれの国の事情による。国連軍といえどもそうだ(そもそも現状で国連軍が派遣される状況がどれだけ可能か、たぶん当分無理だろう)。つまり行使できるとしても、それは時の政府の判断に任されている。なので、日本政府が拒否すれば問題ない。
 さらに今は国と国の戦争はほとんどない。国内紛争が国外に拡大している例のほうが多い。国連の停戦監視団もそちらが中心。とすると、どのような事態が想定されるのか、東アジアで何かが起こるという見解がおかしい気がする。さらに今のアメリカは世界中に派兵することに二の足を踏んでいる。もちろん国際状況は刻々と変わるが、少し楽観できそうだ。全ては私たちが権力を監視して制限できていれば、全ての心配は杞憂で終わる。ようは行使させない政府を選べばいいということ。

 私が今回気になっているのは1つ。「憲法解釈を時の政府が行った」という点だ。これは日本国憲法の弱いところをつけ込まれた、用意周到な作戦だと思う。もともと第9条があることで自衛隊すら違憲とされかねない状況だったため、憲法解釈という発想で乗り越えてきた。憲法改正の手続きは法定だが、解釈の変更に規制はない。極端なことを言えば、「明日起こる戦争に日本が参加する」ことも可能ということだ。今回は「憲法解釈を時の政府が行った」という事実を今後に伝え、選挙の結果如何では「それに国民が同意した」という既成事実を成立させてしまう。とすると、我々が権力の監視を怠った場合、政府の暴走を止められないということを意味する。
 もちろん本当に政府が暴走していたら、一瞬で憲法解釈を変更し、一瞬で戦争に突入させるだろう。今回の安倍首相の行動は、現行の日本国憲法ではこれが可能だということを示したことになる。1930年当時に最も民主的と言われたワイマール憲法の隙を突いたのがヒトラーだった。もし次の首相がヒトラーだったら、この日本国憲法の隙を一瞬で突くだろう。

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