オリエント(アッシリア、ペルシア)

アッシリア

セムアッシリア人は、前2500年頃にアッシュールニネヴェなどの都市国家を建設した。元来農業中心だったが、中継貿易にも乗り出すようになる。前8世紀サルゴン2世のときに、メソポタミア全域を統一し、ニネヴェを首都とした大帝国を築き上げ、末期のアッシュールバニパル王は壮麗な王宮を営んだ。王は神の名において軍事・政治・宗教を支配し、全国をに分けて総督をおいた。武力による統治を行い大規模な強制移住を行うなど無理も多かったため、エジプトの独立等の反乱が起こり、前612年に滅亡した。こうして、新バビロニア・リディア・メディア・エジプトに分裂した。

新バビロニア

セム系のカルデア人が建てた新バビロニア王国がもっとも優勢で、2代ネブカドネザル2世の時にアッシリアの統治制度を復活して大帝国となった。また強制移住政策も行い、多数のユダヤ人をバビロンに捕虜としてつれてきた(バビロン捕囚)。大規模な建築を行っていたが、前538年にペルシアに滅ぼされた。

ペルシア

インド=ヨーロッパ語族のペルシア人アケメネス朝キュロス2世のときに、メディアを占領してペルシア王国を樹立した。リディアや新バビロニアも征服し、カンビュセス2世のときにはエジプトも征服した。3代ダレイオス1世は、東はインダス川から西はエーゲ海までの大帝国を樹立させた。アッシリアの統治制度を継承し、全国を20の州に分け、知事(サトラップ)を置き、その監察官として「王の目・王の耳」を派遣した。また貨幣を統一して、首都スサから要地サルデスまで「王の道」を作り、駅伝制度を設けた。こうして中央集権化を進める一方、被支配民族の宗教や風習には干渉せず、独自の生活を送らせた。国教はゾロアスター教とした。ギリシアと戦争を行ったが成功せず、前330年にはアレクサンドロス大王に滅ぼされた。