教員採用試験の不祥事

今年、大学卒業後始めて夏を楽しみにしております。昨年の今頃は、かなり必死になって勉強しておりました。それが今年からなくなったので、ありがたいことです。
大分県から発覚した採用試験での不祥事は、とても頭にくるものです。教師になろうとしている人々の努力を無駄にし、学校への信頼感を失わせたということで、教師の前に、人として問題があります。しかもそれを知っていたのに行動を起こせなかった人々も、良心の呵責に苛まれることでしょう。
ただ一つだけ、「試験」のみによる採用は正しいのかと思ってしまいます。厳正に行った試験で優秀な人材が確保できているのか、それはテレビなどを見ていればわかることです。生徒への体罰だけでなく、セクハラなど猥褻な行為を行ったり、ストーカーになったりと不祥事が絶えません。そういった教員を採用した人物が処分されることはないけれど、採用した人は責任を負うべきだと思います。私は講師のときに教員の不祥事の話を聞くと、その厳格な採用試験が問題あると思っていました。どうして講師のときの経歴や働きぶりを評定に入れられないのか(もちろん新卒がだめというわけでなく)、一生懸命講師をすればするほど、採用試験には受からないという矛盾。適当に働いて、一生懸命勉強すれば受かる。こんな状態が続いているから、教員になりたい人が減ってきているのかもしれません。
口利きというと聞こえは悪いけど、一生懸命働いている人が報われるシステムには必要かもしれません。そこに金品の授受や昇進などの利益が絡むからおかしいのであって、周りの人々から信頼されており、一生懸命な人を合格させるべきだと思います。ぜひこの機会に、「厳正な試験」ではなく、「試験」自体を考えてほしいです。