教科書で教える?

よく言われる言葉だと思います。「あくまで教える内容が先にあり、その教える内容を伝える手段として、教科書を使いなさいよ」ってくらいの意味でとらえています。中には「単元をゼロからつくる」とか「教科書の構成を変える」とかまでいうこともあるけど、俺はまだ自分には不可能だと思っております。
「歴史は過去との対話である」と呼ばれるように、歴史は事実の積み重ねではない。事実をどう解釈するかが大きな問題。しかも世界史ってなると、多数の国の歴史を「どのように結びつけて」世界史を構成するかが大きな問題になります。だから同じような歴史用語を用いて教科書を作っても、そこには違った世界史が構成されることになります。少なくとも、「教科書で教える」という人々は、Aという世界史の教科書で構成されている世界史の全体像と、Bという世界史の教科書で構成されている世界史の全体像の違いが、はっきり理解できていないといけないと思います。正直私には、未だ無理です。「自分の中で構成されている世界史」を教えるため、都合のよい教科書を用いている人がいるとしたら、怠慢だと思います。なぜなら「教える内容」は受講する生徒によって変えるべきだからです。歴史にはさまざまな要素があるので、歴史の中から受講している生徒に必要なこと(人生とか「生と死」とか現代につながる問題とか)が含まれています。だから教えることが同じっていうわけにはいかないと思うのですよ。
もしかしたら俺でも20年後に可能になるかもしれませんが、今のところは不可能です。なんてったって教科書を読んで喜んでいるくらいだから。去年も思ったのだけど、最近のセンターってかなりつながりを重視した問題が多いので、使う教科書で生徒の成績が変わってくる気がしています。