いじめと学校(1.いじめとそうじゃないの区別)

 最近よく話題となり、特に教育委員会改革にも繋がっていること。
 昔は、「いじめは必要悪だ!」と言っている人もいましたが、今はいないでしょう。いじめを巡る学校や社会が大きく変化している。特にいじめに警察が関わるようになってきたことを考えてみる。
 警察が関わるようになってきた理由を考えると、いじめが大きな被害を生んでしまっているからだと思う。特に被害者が自殺してしまうことが増えた。人が亡くなってしまうことはもう修復できない。だから学校も警察もそうならないようにしなきゃいけない。それがどういう影響を与えているのか。
 私は生徒を見るとき、「いじめは起こっていない」と考えている。だって「起こっている」と見ると、それが伝わってしまうから。ただしいじめに対するアンテナは高くしておく。生徒同士の様子や会話、表情、いろいろ見ている。「いじめに繋がるかも」って思ったら、結構強引にでも介入したりする。もちろん様子を見ながらだけど。たぶん同じ感じの人が多いかねぇ。そう考えると、教員はいじめを未然に防ごうとしているけど、それが生徒に伝わらないようにしているってことかな。
 生徒の側ではどんな変化が起こっているかと考えると、いじめに対しては敏感になっていると思う。どういう行動を起こすと「いじめ」になるのかって。そうすると「嫌なやつ」をどうするか。例えば、同級生にウソばっかりつくやつがいたとしよう。みんなある程度までは仲良くしているが、そのうち我慢できなくなって「ウソつくな、おまえウソばっかりついてる」っていうやつが出てくるかもしれない。もしかしたら、「いじめ」ととられるのが嫌で自然とその子から離れていくかもしれない。結果としてウソをつく人は孤立していく。ここで、その子が「いじめられている」と訴え、騒ぎ立てたら、どう対応したらいいのだろう。とりあえず今考えていることは、どう対応してもうまくいかない。保護者は子どもの立場に立つし、クラスメートを納得させることもできない。本人が気づいて改善すれば一番いいけど、それができなかったら??
 子どもの頃の人間関係は結構ストレートで、孤立するときはほんとに孤立する。大人みたく「あいつはしょうがない」ってならない。だからこそ、孤立したときは自分を変えるチャンスで、それで成長するのだと思う。もちろん意見が違えばケンカもする。その機会を奪ってしまっているかもしれない。