私たちはなぜ真央ちゃんに感動するのか

 完全に個人の意見ですので、偏見と誤解に満ちておりますが、お許しください。
 ソチ五輪の真央ちゃんの演技、見させて頂きました。ショートプログラムは失敗。正直見ていて顔が強ばっていました。しかしその次の日のフリー、こちらは素晴らしい演技。顔が全く違っていました。この出来事に、世界各地?が感動し、私もその1人となりました。ジャンプの銀メダルとはまた違った感動でした。
 森元首相が、「(真央ちゃんは)大事なところで転ぶ」と発言して、大きな問題となりました。ほんと、この人は失言しかしないですねぇ。文脈がどうのっても言われてますが、そういう問題ではないと思います。けど、こういう発言って、結構巷に溢れていません?例えばQBKでおなじみの柳沢選手。2006年ドイツW杯のクロアチア戦で、ゴールを外したエピソードは衝撃でした。正直、当時の私は「柳沢選手はゴールを外す選手」と思っていました。だからその試合を見ていても、「やっちゃった」と思ったのですが、柳沢選手はものすごく批判されていました。または巨人にきたときの清原選手。期待が大きかった反面、これもすごく批判されていました。もちろん、真央ちゃんのケースとこれらのケースは違います。ただいろいろなことを抜きにして、「大事な場面で失敗する」ということはよくあるし、そういう風に他人を批判することもよくあることだと思います。
 けど、真央ちゃんの場合は、そうはならなかった。ショートプログラムの次の日、森元首相のような発言をメディアでしていた人は見なかった。むしろ「がんばれ」的な調子が多かった。そしてフリーでの演技。感動しました。
 なぜ、私(たち)はここまで真央ちゃんよりになっているのか。1つ気づいたのは、彼女の人柄です。笑顔で人なつっこく、帰国後のインタビューなんかを見ても、なんか応援してしまいたくなる。さらにメディアを通して、バンクーバー五輪の後、ストイックに練習に打ち込み、失敗するたびに前向きに、そして謙虚に、スケートに打ち込んでいる姿を見ているから、「金メダルを取って欲しい」って思ってしまうんですね。むしろ私(たち)にとっては、「真央ちゃん自身のために、金メダルを取って欲しい」っていう風に。だからフリーで素晴らしい演技をしてくれたとき、「ありがとう」とか「おめでとう」という感動を素直に感じられたかなと思いました。
 そう考えると、スポーツって結果じゃないんじゃないか?と思いました。最後の目的は「人として」という部分であって、「優勝」とか「金メダル」とかではないのかもと。もちろん結果も素晴らしいことだけど、メディアも必ず結果に至るまでのプロセスを報道します。個人的にはジャンプの団体と葛西選手の銀メダル、ノルディック複合渡部暁斗選手の銀メダルも感動しました。それは、それらの競技で昔金メダルを取って、その後とれずに苦しんでいた時期を注目していて見ていたから、だからこそ感動したわけです。結果を出すまでの過程に、私(たち)は心を動かされ、結果がでたことをきっかけに感動する、過程に「人柄」が見えるほど、私(たち)は感情移入してしまうのでしょう。
 そんなことを考えました。しかもこれは日本だけではなく、世界共通であること。キム・ヨナは素晴らしかったけど、真央ちゃんのほうが感動しました。これは思いっきり日本人だからだと思うけど。他国はどうたったのかしら。
 そういや、オリンピック選手にヘラヘラするなって言ってた人(竹田恒泰氏)いたなぁ。あの人と同じ話ではありませんので。あの人の言ってたこと実践したら、近所の独裁国家と同じになってしまう。