今こそアーレントを読み直す

今こそアーレントを読み直す (講談社現代新書)

今こそアーレントを読み直す (講談社現代新書)

 少し前に本屋に行った際、アーレントの「人間の条件」が目に入った。アーレントについて名前しか知らなかったが、ふと買おうと思って思いとどまった。「難しかったらどうしよ」。そのあとこれを発見して購入。どうやらそれは正解だったようだ。
 アーレントの本はわかりにくいらしいが、これは非常に読みやすかった。この本によるとアーレントは「複眼的思考」を大事にしている。それは1つの考えや1つの意見に染まることではなく、複雑なことを複雑なままに捉えることである。1つの考えに染まってしまうと、1人1人の思考が停止してしまい、全体主義国家が誕生してしまうのだ。そのため人間は政治に参加して討議することが大切で、それによって一層人間になるということを述べている。
 現在の国家のように「国民」意識があると、必然的に「外国人」が生まれてくる。「外国人」を「敵」にすることで、「国民」意識は一層強まっていくことになる。このようにしてユダヤ人迫害が進んでいった。19世紀の帝国主義は、ローマ帝国のように市民権を拡大させたのではなく、支配・被支配の関係である。ここから支配側であるヨーロッパ各国が同一性を強め、白人の優越意識が生み出されていった。また19世紀以降に人々は政治に受動的になり、無構造(流動的?)な大衆社会が出現する。このときに危機的な事態が起こると、大衆は不安を持ち、世界観的な理念をもった政党の影響を受けることとなった。これがファシズムだと分析している。
 なぜユダヤ人虐殺のような凄惨な行為を人々はできたのか。彼女はアイヒマンを分析した。その中でアイヒマンを「普通の人」として描いている。彼はユダヤ人抹殺に使命感を感じていたわけではなく、職務に忠実な人間だったのだと。単に「自分のしていることがわかっていない」無思想な人間だったのだと。ここから著者な以下のように述べている。

日本の大企業で、企業ぐるみの不祥事が発覚するような時、上からの命令や慣習に従ってあまり意識することなく”悪いこと”をやっていた”平凡で善良な市民”が出てくることがある。”平凡な彼ら”の責任を心おきなく追及しようとする場合、〜彼らの”隠れた邪悪性”を指摘することになりがちだ。そういうことしておかないと、誰も彼らを裁く資格がないということになりかねない

 そういうことって結構日常であるよね、「誰かを悪く言って 楽をするのはもうやめよう。」ってCMもあったし。あれ最初に見たとき、「うっ」って思ってしまった。まさしく図星だったようだ。