過去の日記2

今読んでも、よくわからない。
何考えていたんだろう。

ひさしぶり。今日は結構いろいろあったので、日記を記そうと思います。おもしろいページを発見した。音楽について「パクリ」というものを社会的な側面と心理的な側面から書き出した論文だった。
ロックというのは定義が難しいけど、俺の中では「自由」というイメージがつきまとう。つまりロックは自由であり、強制したりするものではない、ということ。ただロックはその独特のパフォーマンスなどから呼ばれるようになったということを考えても、「かっこよさ」というのが非常に重要なキーワードになると考えている。つまり「自由にかっこよさを求める」とでも言おうか、この点が作者と違う点であろう。
よくうちの母親とかが「今の音楽には意味がない」と言っていた。これはあきらかに違うと思う。どういうことかというと、「歌詞に意味がないといけないのか」というところである。例えば洋楽に触れる際、「かっこいい」というのは「音」であり、「意味」ではなかったはずである。ところが、日本の音楽には「意味」を求めてしまっている母親の悲しさがそこにあると思う。
奥田民生は俺の好きなアーティストである。その特徴は至って単純で、歌詞にあまり意味がないところである。歌詞を言葉単位にまで分解して、それを音符に乗せることで、曲全体のイメージを構築する。これの発展系がB-DASHで、こいつらは歌詞を文字単位にまで分解して、意味のないニュアンスだけの歌詞を歌っている。これはすごくおもしろい。ある種の皮肉にも聞こえてくる。それはつまり「歌詞」に意味を求める人に対する皮肉、「洋楽聞いたときは大概こんなもんだっただろ?」という皮肉に聞こえてくるのは俺だけだろうか。
奥田民生は間違いなくビートルズのファンであろう。それは純粋なファンである。PUFFYの曲から感じ取れるフレーズは全てビートルズを彷彿とさせ、しかもあのけだるそうなダンス(?)をしながら歌うそのやる気のなさに、ビートルズに対する愛情を感じ取ることができるのではないか。
私は結構いろいろな種類の音楽を聴いている。その中で最近聞いているのが、PUNKという分野である。PUNKは自分の内面を叫び声のような単純なフレーズに変換して歌うことにより、いわゆる「熱さ」を全面に押し出している。今では「童貞」を売りにするケースが少なくない。その特徴はスピード感のある、単純なリズムである。同じ作曲者だと曲自体見分けることが困難になることもあるくらい同じリズムである。そのため私は結構短期間で飽きてしまうことが多い。その中でも、異彩を放っていたのがGoing Steadyである。メロコアでもなく、スカでもなく、なんと表現してよいかわからないが、バリエーションの多いサウンドと、リズム。スピード感を失わせずにメロディーを奏で、「熱い」メッセージを伝える。これはPUNKというジャンルには入らないようなバンドだったと私は感じている。
PUNKは自分の内面をおもいっきり主観的にメッセージとして伝えていたが、それと相反していたのがSpiral Lifeであろう。自分の内面をおもいっきり客観的に捕らえ、その歌詞とメロディーによって独特の世界感を生み出していた
曖昧さというのは日本人独特のものである。それは外国人には理解できない感覚である。これを最大限利用したのが、中村一義だと述べていた。アニメ業界でこれに最も適しているのが、エヴァンゲリオンであろう。私はただ見ていたタイプだったが、このような現象が見られた。まずアニメの中では異例である「聖書」を持ち出し、そのイメージを構築した。出てくるキーワードは全て聖書の中の言葉で埋め尽くされ、物語も宗教色が深まっていくように作られている。そのある意味アニメではない意味づけさが、あれだけの人気を博し、「あそこはこうだと思うんだ」というエヴァンゲリオン論争が巻き起こされたのである。こういったのは日本人にとっては非常に心地よい感触だったことだろう。
その曖昧さを違う意味で表出したのが坂本龍一だと私は考えている。「オリエンタル」という言葉で表されるその音楽は、どこの国の曲だかわからない感覚を私たちに与えてくれる。本来、オリエンタルというのは「東洋」という意味があるが、ここでは「無国籍」という意味のようだ。これは東洋が持つ神秘的なイメージと無国籍音楽のもつイメージがかみ合った結果であると思う。つまり坂本龍一の曲は国籍が「曖昧」なのである。
私の好きなアーティストには共通点がある。オアシスや坂本龍一、以前のラルクなど、聞いたとき感じる世界観である。まるで空に浮いているような心地よい感覚に襲われる。水のような心地よさとも言えるが、その世界観が非常に好きなのである。
音楽というものの起源は非常に古い。その中に意味を求めることは重要である。ただ、その意味を考えすぎてしまい、音楽自体を楽しめなくなってしまうのは非常に悲しいことだと思う。確かに最近の音楽は聴く気が無くなるアーティストが多い。音楽を作るというより、アイドル化している傾向がある。それは確かに危惧しなければいけないことではあるが、いかんせん完全に受け取る側の問題であり、我々が変わらなければしょうがないのであろう。結局民主政治は衆愚政治である、という結論に達しそうである。まるでフリッパーズギターのように。