オリエント(地中海東岸)

ヒッタイト

前2000年頃インド=ヨーロッパ語族の移動が起こり、小アジアヒッタイト王国(首都ボハズキョイ)が建てられた。特に鉄器の使用は有名である。王は堅固な城壁で固めた首都に住み、政治・軍事の権力を握っていたが、貴族の第一人者という性格だった。政治体制は戦士的貴族を重視し、文化面はバビロニアの影響を受けていた。バビロンを攻めて衰退させたり、ミタンニ王国(フルリ人)やエジプトとも争った。ちなみにエジプト(ラムセス2世)とのガディシュの戦いの後、世界最古の条約を結んでいる。

アラム・フェニキア

前13世紀初めにセム系のアラム人はダマスクスを中心にアラム王国を建国。内陸の中継貿易によって繁栄した。アッシリアに滅ぼされた後もアラム商人は活動し、アラム語は全オリエントの商業語となり、アラム文字もインドやペルシアなどの文字に影響を与えた。ちなみにイエスアラム語を話した。前12世紀頃にシドン・ティルスなどの都市国家で繁栄したセム系のフェニキアは、クレタ・ミケーネの海上貿易が衰えた後に、地中海貿易に乗り出した。ジブラルタル海峡を越えてイングランドの錫を獲得したり、インド洋にも航海したりした。アッシリア崩壊後のペルシア時代には保護され、フェニキア文字表音文字を発明し、これはアルファベットの元になった。

ヘブライ

前1500年頃、セム系のヘブライ人はパレスティナに侵入し始めた。一部はエジプトにも移住したが、王の圧政に耐えかねてモーゼに率いられてエジプトを脱出し(出エジプト)、パレスティナに定住した。前10世紀頃にはダヴィイスラエル王国を統一し、イェルサレムに都を築いた。その子のソロモンのときには、東洋風の専制政治を行い、いわゆる「ソロモンの栄華」を誇った。しかしそのため人民の負担が増大し、北のイスラエル王国と南のユダ王国に分裂した。イスラエル王国アッシリアに滅ぼされ、ユダ王国アッシリア滅亡後の新バビロニア王国に征服された。その際多数のユダヤ人が捕虜として強制移住され(バビロン捕囚)、その後のペルシア王国のときに解放されてペルシアの属国となった。バビロン捕囚などの危機に際して、預言者が「唯一神ヤハヴェ」の意志を伝えて民衆を指導した。こうしてユダヤ教が生まれた。