費用対効果

あまり仕事をしないと言われている先生を、「給料泥棒だ」と言っている人がいた。俺は正直教員の給料っていうのは非常に難しいと考えている。義務<高校<養護って感じで給料が違う。ただ養護は仕事の量というよりも、人を集めるために高いのかなと思う。俺の耳に入ってくる企業の給料は単純な年功序列実力主義折衷という感じ。年功序列はおいといて、実力ってのは業績であったり、上司の評価だったりといろいろな要素を含めて判断するのだろう。ちなみにある大企業では全てを点数化していると言っていた。上司の評価も一人ではなく、様々な上司の評価を聞いて総合的に判断しているようだ。
んじゃ学校はというと、年功序列。なのに「給料泥棒」って言葉を使うのは、おかしな話だと思ってしまったのだ。俺はその瞬間、「そういったらみんな給料泥棒ですよ、教育の効果なんて簡単に計れないですから」と言ってしまった。よく「仕事をしない」とか「使えない」とかいう話を聞くが、それを言っている本人は自分で「自分は仕事ができている」と思っているらしい。それこそどこで仕事ができていると判断しているのか聞いてみたいものだが。例えば俺はある程度PCの操作ができる。つまりそれだけデスクワークにかける時間が少ないということ。「生徒が帰ってから5時までの2時間もない時間でどれだけ事務仕事をこなせるか」という尺度で評価を行ったら、俺は少なくとも回りの先生方の倍以上給料を貰わなくてはならない(基本的に学校の先生でPCでいろいろできる人は少ないので)。現実は俺が回りの倍以上のスピードで事務仕事をこなしていても、一切評価されない。しかも評価する側も校長と教頭で評価するから、これも「言ったもん勝ち」という様子。
まあ実際には仕事をしない人もいる。生徒の教材すら作らず、ただ授業中座っている人とか。年功序列だとこういう人の給料も変わらない。今自己評価なんてのも始まりだしているけど、実際にしっかりとした自己評価を行える人材が学校にいるかと言われたら、答えは「ノー」だろう。だってみんな自分は偉いと思っているし、自分は仕事ができていると思っているのだから。
とつらつら書いたが、実際に俺も具体的に改善策を持っていないんだけどね。