担任は何があっても入学式にでるべきか

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140411-00010005-saitama-l11
 県西部の県立高校で50代の女性教諭が長男が通う別の高校の入学式に出席するため、担任を務める1年生の入学式(8日)を欠席していたことが分かった。新入生の保護者らは「今の教員は教え子より息子の入学式が大切なのか」と困惑している。
 県教育局によると、県内の県立高校では、ほかに男女3人の担任教諭が子息の入学式出席を理由に休暇届を提出し、勤務先の入学式を欠席した。
 関根郁夫県教育長は11日に開いた県立高校の校長会で「担任がいないことに気付いた新入生や保護者から心配、不安の声が上がった」と、この事実を報告した上で「生徒が安心して高校生活をスタートできる体制づくりと心配りに努めてほしい」と異例の“注意”を促した。

 さて、ずいぶんと昔の話だけど、書く暇がなく…。いろいろなところで話題になっていますなぁ。まずは擁護する側は、「違法性がない」「子どもへの愛情だ」「ワークライフバランスだ」などなど。批判する側は上記の理由や「保護者との信頼関係を築かないと」「教員としての責務」などなど。他にもあるかもしれんけど。
 私の母は、入学式以外の学校行事にほとんど来なかった気がします。もちろん父も。別に教員ではなかったですが。自分が子どもだった頃は、父親は家庭を顧みずに仕事ばかり、母親は育児。共働きだったため、私たち子どもは祖父や地域の人に面倒を見てもらっていました。昔はそういう時代だったのでしょう。けど今はどんな時代か。父親の育児参加が叫ばれて(父親の育児休暇もあったりする)、共働き世帯が多い(政府も促進している)。基本二世帯だから、子育てを手伝う人がいない(まあだからダンナが育児なんでしょう)。
 なので昔と今では状況が違う。となると「仕事優先」も合わない。それこそ休日出勤やサービス残業が多い企業はブラック企業なんて批判されているわけで(昔は普通にあった気がする)。今は「ワークライフバランス」なんですよ。けど、労働慣行として「仕事優先」は残っている。認められている休暇(有給じゃない)を取得したのに、少し白い目で見られたり、上司が働いていたら帰れなかったり、サービス残業も未だにあったり。「仕事優先」から「ワークライフバランス」への移行期なんだと思う。そのため、「こうすべき」という普遍的な行動様式が確立しにくい。
 今回のケースは、まさにいい例だと思う。「こうすべき」がない。だから私個人としては、このケースは「休んでOK」です。ようは判断しようがない。この先生の状況がわからないので判断できないし、状況がわかったとしても判断する立場にない。これは先生と校長だけですべき判断で、それを外野でいろいろ口出しすべきものではないと思う。保護者の方ももちろんいろいろあるかと思うが、それもこんな公で話すべきでないと思う(こっそり言うとか)。もしかしたらすごく重大な家庭の事情があったかもしれない(例えば子どもが超ヤンキーで大変とか、不登校でやっと高校行く気になったとか…)。それなのにいろいろ言われたら、仕事をする気力もなくなるでしょう(下手したらやめる、担任をおりるかも)。それが生徒らにとって一番の問題になると思う。
 教員としての責任はある。けど、それは入学式と卒業式にでることではない。それ以上の日常的な関わりが一番大切だと思う。けどそれは評価しにくい部分。保護者や生徒が感じたり、あとで気づいたりする部分だと思う。別に入学式と卒業式の出席で評価されてもかまわないが、そしたら評価しにくい部分はやんなくても良くなってしまう。「そんな責任感のないやつ、教員やめてしまえ」と言われそうだけど、残念ながら教員志望者は着実に減ってきている。

 例えばこれが親の葬儀だったら、どうしよ??俺は忌引をとってしまいそうだ。んじゃ校長は忌引でやすめるの??これは無理かなぁ、どうでしょ。
 それ以上に1人1人の事情を想像できずに、机上の空論ばかりってどうなのかね。法的には…とか、教員の責任…とか。大事なことってそこ??中には「教員の責任」を痛感しながらも休まざるを得なかった人もいると思う。対応を見ると、この先生はそういう先生だと思うんだけど…